自己愛の過剰摂取

メンヘラオタクが暇つぶしに何か書きます 

自分を愛するということ

今まで自分を愛するということは自分の駄目なところを許すことだと思っていたけれど、実は自分のためにできることを増やしてあげたり努力したりすることなんじゃないかと、ふとそう思った。

 

人間として生きていくためには基本的には社会に馴染まないといけなくて、社会に馴染むために労働とかしていくわけなんだけど、変化のない日々は怠惰を産んで人生がつまらなくなっていく気がする。人間は生き物である限り生きていてば勝手に劣化していくので、自分の中でたとえ成長していなくてもできることを増やすために努力したりすることがとてもいいことなんじゃないかなと思った。

 

自己を愛すということは自己がより楽しく生きていけるよう努力してあげるということで、自分のために頑張ることがある程度必要なのかもしれない。

 

こんなことを書いているけれど、自分は基本的に何もせずだらだらしてしまうし駄目な自分を愛そうとしてしまうけれど、もう少し自分のために何かを頑張れるようになれたらいいなと思ったりした。

「彼女が好きなものはホモであって僕ではない」を読んで

マイノリティーであることは、社会の中で生きていく上でなかなかに辛いことだ。当たり前のことが当たり前でない人間を、いわゆる世間は迫害していく。本作の主人公はゲイであり、ゲイというものはマイノリティー性的指向である。

 

自分は性的指向はゲイでもなければバイでもなく、女の人が好きな男なんだけど、自分は女装していて、自分の性別が自分の中でどのようになっているのかがいまいちわからない。可愛い格好をするのが好きで女になりたいと思うが、性的指向は女性が好きで、なかなかちぐはぐなものになっている。自分はあまり男のように扱われるのが好きじゃなくて、どちらかというと女性のように接してもらいたいんだけど、女装していないときにそれは無理があると思うからそこまでは望んでいなくて、けど女装しているときはなるべく女性として見てほしいなと思う。本作の主人公はゲイであって、自分とは違う性的指向だけど、自分の中で本作は共感できる部分がめちゃくちゃあって思わず声が出てしまったり泣いてしまったりした。

 

女装というのは普通の人からしたらおかしなことで頭のおかしい行為なわけだから、他者からよく思われなかったりする。特に親からはその反応が顕著に出ていて、家で化粧するだけでもキモいと言われたりする。ただ女性がそうしているように自分も化粧をしたいだけなのに、傷つけられる言葉をかけられて、嫌な気持ちにはなるけど気持ち悪いのは事実であるように思うので、反論しないでいる。例えば外に蛾が飛んでいたときに気持ち悪いなと思うように、自分も他者から見たら気持ち悪い存在として映っているんだなと思う。本当は傷つきたくはないけど、他者がそうかんたんには変われないと思うし、自分も女装をしたいという気持ちを消せるわけではないから、諦めるしかないように思う。

 

他者にゲイであることを打ち明けたいと思う気持ちもとてもわかる。自分のことをもっと知ってほしい。そして受け入れてほしい。そう自分も思う。けどもし他者にとってそれが本当に気持ち悪いことだとしたら?そういうとき、その相手のことを責められないと思う。仕方ないんだ。自分が女装したくてたまらなくなるように、他者がどうしても気持ち悪く思うことだってある。だから隠さなくてはならない。自分が傷つかないために、そして他人を傷つけないために。

 

純くんは今はただ男のことを好きになっているけれど、いずれは女のことも好きになって結婚したりして幸せな家庭を築きたい。と言っていた。本当に辛かった。本当は世間に馴染めるように、まともなレールを歩けるようになりたかった。けどそれは無理みたいだ。心のことは本当にどうしようもない。純くんは本当に悪くない。何が悪いのだろうか。環境なのか、親なのか。けどそんな事考えてもしょうがない。何も変わらない。そうなってしまった以上はしょうがないんだ。歪な自分を隠して生きていくか、世間から外れていくか。

 

書いているうちに疲れてきてしまった。この小説は本当に素晴らしいものだと思う。読むべきだ。他者がこの小説を読んでどう思うのかは分からないけど、自分には共感できる部分があって、辛くなって、けど読み終えた。僕たちは歪な形をして、ときに迫害されたりするだろう。けど自分で自分を傷つける必要はない。自分だけは自分のことを会いしてあげられると思う。辛いかもしれない。自分だって辛い。けど自分が正しいと思ったら、それは正しいことなんだと思う。

2年目の夏

彼女が自殺をしてからもうすぐ2年が経とうとしているみたいです。時が経つのは早いですね。今でもあの暑い夏の日、仕事場でTwitterで流れてきた自殺した女の子のツイキャスを見てその女の子が自分の彼女であったときのことを思い出せます。自分のことを愛し、信じてくれた彼女を傷つけ殺してしまった自分は未だに生き続けています。

 

死にたいと、もう終わりにしたいと心の中では思っているのですが、結局自殺はできていません。しようともしていません。彼女が自殺した事実から逃げて目をそらし続けているだけです。自分はこの2年間何もしていません。Twitterで検索すると未だに彼女のことをツイートしている人がたくさんいます。彼女の自殺した駅に行って花を手向けてくれる人もいるようです。自分は未だに彼女の元にも、自殺をした駅にも行っていません。何をしているんでしょうか。人を見殺しにした事実は変わらないのに、逃げ続けています。

 

彼女に会いたいです。そして殺してほしいです。一緒に死にたかった。置いてかないでほしかった。死ぬのは本当にこわいことなのに、なんで先に死んでしまったんでしょう。辛い思いをさせて申し訳ない。幸せに出来なくて申し訳ないです。自分なんかを好きになってくれて、信じてくれて、こんなに素敵なことはないのに、傷つけてごめんなさい。こんなことブログに書いててもただのオナニーです。分かってるんです。けど死ねないんです。苦しいです。

 

どうして大好きな人を傷つけてしまうんでしょう。どうして自分はこんなにも愚かなんでしょう。自分がもっとちゃんとしていれば、彼女が死ぬことはありませんでした。謝りたい。許してくれなくていい。憎悪にまみれた顔で思いっきり殺してほしい。生きてていいことがない。自分にいいことがないんじゃなくて、他者にとっていいことがない。生きていては駄目なんです。もう誰も傷つけたくない。許されたいんじゃなくて、殺されたいです。

なにもわからない

もう4月ですね。自分はこの4月で25歳になります。随分と長い時間を生きてきたように思いますが、本当に何もなかった25年間でした。なにか大きい流れに身を任せながら適当に大学まで卒業し、特に苦労もすることなく適当に就職して、それで色々あって精神病になって無職になって、適当にバイトだけでも始めてみて、今改めて思い返しても何もないなぁと思います。本当はこのまま何もないまま、ただ時がすぎるのを待ち、来たるべき時に死ぬ人生だったはずなんですが、本当に自分が愚かであったがゆえに恋人を見殺しにしてしまったりして、本当にすべてが意味もなく、ただ人を傷つけるだけの人生であったことを証明してしまったのに、まだずるずると生きてしまっています。

 

近況を報告いたしますと、今度は秋葉原でバイトをすることになりました。自分は最近はポケモンカードをやっていて、秋葉原にばかり行っています。秋葉原は本当に楽しい場所で、人が楽しくあるためにある場所だと思います。様々なカルチャーが入り混じっていて、どんな人間でも楽しんでいける、そんな場所のように思います。自分もこの楽しい空間の中でなにか貢献できるような仕事ができたらいいなと思って応募して、無事雇ってもらえることとなったので、これから頑張っていきたいです。

けど世間的にはいまコロナで世界中がどうやらとんでもないことになっているようで、外出を控えるように勧告をされています。親は自分が秋葉原で働くことに反対のようで、それに25歳にもなってフリーターでいることにも反対なようで、色々言われました。まぁ親の意見も最もだし親と暮らしていくには従わないといけないとは思います。けど、こんなところだから正直に言うんですけど、親の言うことは自分にとっては大体のことは間違っていて、間違っていたから故にこんな人間になってしまったし、こんなことになってしまったんじゃないかなと思うところがあります。なので25年間生きてきた考えとしては、親には従わないほうがいいように思います。そもそも自分と親は馬が合いませんし(こいつらの遺伝子を受け継いできたはずなのになんでこんなにも考えが違うんだ?)嫌いな部類の人間なので、家から出ていかなければいけないのかなと思います。自分自身では他者とうまくやっていきたいという気持ちがあるのですが、どうしてか他者とうまくいかないことが多いです。それは大体自分のせいとは思いますが、自分の思ったとおりに生きていきたいなとは思います。ということで明日シェアハウスの管理人?の人と通話をしてみることにしました。心の中ではもう入居する気まんまんなのですが、相手は人なので合わない場合もあるのでそのときはどうしようかな。一人で家を借りるのは難しそうなので悩みドコロですが、家からは出ないと行けないなぁと思います。できたら親との縁も切っておきたいですね。親のことは比較的苦手な部類なので関わっていくメリットもそんなにないし、万が一親の葬式にでろとか言われたらめちゃくちゃ困るので。他者よりも距離の遠い存在になってほしいという気持ちがあります。

 

もう一つの問題としましては、そもそも生きてていいのかというものがあります。どういう状態であれ、自分は人を見殺しにしているわけですし(それも好きな人を)死ぬべきなんじゃないかと思います。死ぬべきなのは分かっているのですが、自殺は本当にこわくて、正直に言うとできないように思います。弱くてすみません。人のこと殺しておいて傲慢ですよね。わかってはいるんですけど、死ねる気がしないです。けど死ぬことは正解であると思います。その道は正しいものであるのに、自分で踏み出せる勇気がありません。

 

人生本当にどうしたらいいのか分からないです。死にたいけど死ねません。生きるならお金が必要だし頑張りたいという気持ちはあります。もし生きていることが間違っているということなら自分に死ねる勇気がほしいです。本当は殺してほしいけど、それだと殺してくれた正しい人が罪に問われちゃうのでそれは困ります。自分はどうしたらいいですか?本当にわかりません。誰か教えてくれると嬉しいです

近況報告

寝れないのでブログを書く。このブログを読んでいる人のほとんどは(いや全てか?)元カノの自殺から知ってくれたと思うので最近の個人的な元カノへの感情でも書いたほうがいいのかな。今は本当に思い出すこともあまりない感じで、死んでしまったことを考えると本当に悲しいが、心の中でだいぶ薄らいでしまった。時が立つのは早いもので、元カノが死んでからもう1年半経つのかな。自分が殺してしまったのに、未だに私はのうのうと生きています。結局死ぬのはこわくて全く踏み切れなくて元カノが死ねた偉大さを感じつつ今日も無意味に時間を消費しています。こんな状態でまだ生きてていいのかなと思うときもあるが、本当に死ぬのはこわい。肉体が生にしがみついている。そんな感じです。

 

最近はずっと趣味のことばかり考えています。だいたい3ヶ月前からポケカをし始めてカードのことばかり考えているし、休みの日は外に出てポケカをしています。そこで新しくできた人間関係なんかもあります。自分はかなり性格に難があるみたいで、割と嫌われたりもしたみたいなんですけど、それなりによく会う友達なんかもできて世間一般的にみたらそれなりに充実した生活を送っていそう。あとは化粧をよくしています。働き始めたものの、本当にしたいことが全くなく、やることがなくてもずっと死にたいということだけ考えてしまうのでなにか始めようと思い、元から可愛くなりたいとは思っていたので化粧をしてみました。やってみると自分が自分じゃなくなる感じがして結構楽しいです。もともと自分の顔がめちゃくちゃ嫌いでインターネットににげていた所があったので、化粧することはとてもいいことのように思えます。ゆくゆくはロリータなんかを着て外に出たりしたいですね。とにかく可愛くなりたいです。

 

近況はこんな感じです。思考ルートとしては死にたいけど死ねない→何もしていないとただ辛いだけ→どうせ死ねないならやりたいことをやってみよう→趣味に没頭。という感じです。本当に薄情なやつですね。けどいいんです。どうせ死ねないので。誰か殺してほしいですね。まぁそんなことしてくれる人はいないんでしょうけどね。明日も出かけると思います。ごめんね。

駄目でいれる場所

人は時として駄目になるときって言うのが必要で、別に真面目に生きていてもいいけどそれっていいことばかりじゃなくて、たしかに世間的にはいいことばかりなんだけどその結果自分が我慢しなくちゃいけなかったり自分が辛い思いをしなくちゃいけなかったりして、私は自分の人生を最も大切にするべきだと思っているので、いい子ちゃんになる必要なんて、我慢してまではないんじゃないかなって思います。

 

コミケで中国人コスプレイヤーを集団で囲って心理的負荷をかけた話題がTwitterに上がっていたけれど、コミケももともとは人間の業みたいな、だめな部分を皆でさらけだそうみたいなイベントだった気がする。オタクのキモい性欲をぶちまけた作品をいっぱい描いてそれを売り買いして、見た目がたとえ悪くてもそのキャラになりきりたくてコスプレしたり、女と全く関わりのないオタクたちが女囲って写真撮ったり、そういう醜くいれる場所のイメージがあった。みんな気持ち悪くてみんないいみたいなイベントなのかなと思っていたけれど最近は違うらしい。

 

これはすべてのことに言えるような気がするけれど、人は増えれば増えるほどその環境は平凡でつまらなくなるものだと思う。コミケもそれと同じで、最近ではオタクみんなが楽しめるイベントみたいな感じで、そういう気持ち悪さはどんどん排除していこうという傾向があると思う。もともと人の駄目な部分をみんなでさらけ出そうというものだったのに、どんどん人が増えていって、どんどん平凡なものになっていくのかなって思います。そりゃ人を傷つけたりするのは良くないことなんだけど、人のだめな部分っていうのは必ずあるんだろうし、そういうものが発散できる場所がまた一つ減ったのかなとも思いました。

 

それだけです。

死ぬべきなのは、分かってはいるんだ

別に自分が望んで歪に生まれてきたかった訳では無いのに、環境が悪かったのか遺伝子が悪かったのか親が悪かったのか、結果的にかなり世間から、親の理想からは離れた子供になってしまいました。

 

今までの自分はとにかくその歪さから、自分の醜さからただ逃げて目を逸らして、他人を利用して人生を丸投げして生きてきました。その結果人が一人死んだりして、自分の未熟さや歪さを再確認することとなりました。

 

自分の歪さから逃げて他者に依存する生活はもう辞めたいと思い、今度は自分のことを自分がちゃんと理解してあげて、自分のやりたいことをやっていこうと考えました。その結果今は女装することとなっています。元々自分は周りの男に比べて力がなく、自分が男の中にいることに違和感を感じていました。女子と話している時の方が楽しく、居心地も良かったことを覚えています。自分は本当はほかの女子みたいにかわいくなりたくて、けど現実じゃかわいくなれるわけがないと思い、インターネットでネカマをして誤魔化したりしていました。自分の性意識がどちらかなのはよく分かっていませんが、かわいくなりたいと思う自分がいるので女装をしています。

 

親にとって女装する息子というのは本当に嫌らしく、度々批判的なことを言われます。別に私だって最初からまともな人間になりたかった。ただ少し人と違かっただけでなんでこんなに批判的なことを言われないと行けないんだろうかなと思います。どうしてこのような人間になってしまったのかわかりません。そんな批判的なことを言うくらいなら最初から産まないか、今すぐにでも殺して欲しいと考えます。自分らしく生きていけない人生になんの価値があるんでしょうか。そんな誰かに命令されるだけの奴隷みたいな生活は強制されるべきなのでしょうか。分かりません。間違っていると言いたいのなら今すぐに殺して欲しいです。何もわかりません。

 

最近また彼女が出来ました。自分はこの通り歪な人間なので、現実世界ではあまり他者と仲良くすることが出来ずに、大抵コミュニケーションをとる人間はインターネットの人です。インターネットで人とコミュニケーションをとって好きになる。少し現実世界と距離が離れているだけなのにまた批判的なことを言われます。まるで犯罪者になるんじゃないかという口ぶりをされます。何がいけないんでしょうか。人を好きになることは良くないことなんでしょうか。自分みたいな歪な人間は誰とも関わらずに引きこもってこの人生を終わらせたらいいのでしょうか。やはり、自分みたいな人間は死ぬべきなんでしょうか。

 

なんで少し人と違うだけでこんなこと言われないといけないんだろう。ただ楽しく生きていたいだけなのに、辛いだけなら死んだ方がマシだと思います。やっぱり死ぬべきなんでしょうか。死ぬべきなのは分かっているのに死ねません。こわいです。好きな人もできちゃいました。一緒にいたいです。みんなみたいに楽しく行きたいです。なんでこんな人間に産まれてきたんだろう。もっとまともだったら良かったのに。最初からかわいい女の子に生まれて来れたら良かったのに。最初から何もかも間違っていたんだと思います。生きててすみませんでした。今からちゃんと死ぬ準備をしていきたいです。自分が生きていてはいけない存在である事実から逃げてしまったらまた同じことの繰り返しのように思います。ちゃんと死にたいです。否定されたくないです