自己愛の過剰摂取

メンヘラオタクが暇つぶしに何か書きます 

2021年

もう遠い昔のような話。事実としてあったことも、時とともに脳内から薄れてしまっている。思いだそうとして、調べて見てみても本当にそんなことが合ったのか疑わしくって、本当は何もかも自分とは関係のない話なんじゃないか、と思えてくる。何もかも事実で、無くなったもの失ったもの確かにあったもの、たくさんたくさんあったはずなのに、ごめんなさい。

 

寂しくて人と関わる。間違えて嫌われる。そもそも本当に大きな間違いをしている人間なのだから仕方ないのだろうか。どうしたら正しくなれるのだろうか。いるのが間違いだとか、死ぬのが正解だとか、言うのは簡単だけれども、本当に正しいことへの距離は遠く、間違えるのはあまりにも簡単なのに、気づくことに遅れてしまう。

 

嫌だな、忘れてしまうのは。インターネットでよくわからない人間たちが未だに内容を呟いたり映像を見たりしているらしい。映像を見るなんてことは一生できないと思う。目を背けるしかない。謝ったって許されないし帰ってもこない。いつになったらちゃんと死ねるのだろうか。

 

もう関係のない生活を進んでいるのだろうか。それとも存在していないのだろうか。もしおれを見ているのだとしたら、どう思っているのだろうか。もし恨まれていたら、殺したいほど憎まれていたら、許された気持ちになるのだろうか。自分がどれだけ彼女の救いになっていたのか、どれだけ傷つけていたのか、わからないことばかり。

 

関わってしまった。好きになってしまった。間違えたくないな。何もかも。存在しなければ間違うこともないのに、死ねずに、どうしたらいい。答えなんてないんだよね。こわくて、醜くて、こんな夜中にうじうじ考えているのに、起きたらまたバイトとかするんだと思う。死にたいと思い、生きるために動き、何もかもから逃げている。間違い続けて、救われるわけでもなく、救えるわけでもなく、許されるわけでもなく、憎まれるわけでもなく、ただ死んだこと、何もしていないこと。