自己愛の過剰摂取

メンヘラオタクが暇つぶしに何か書きます 

「彼女が好きなものはホモであって僕ではない」を読んで

マイノリティーであることは、社会の中で生きていく上でなかなかに辛いことだ。当たり前のことが当たり前でない人間を、いわゆる世間は迫害していく。本作の主人公はゲイであり、ゲイというものはマイノリティー性的指向である。

 

自分は性的指向はゲイでもなければバイでもなく、女の人が好きな男なんだけど、自分は女装していて、自分の性別が自分の中でどのようになっているのかがいまいちわからない。可愛い格好をするのが好きで女になりたいと思うが、性的指向は女性が好きで、なかなかちぐはぐなものになっている。自分はあまり男のように扱われるのが好きじゃなくて、どちらかというと女性のように接してもらいたいんだけど、女装していないときにそれは無理があると思うからそこまでは望んでいなくて、けど女装しているときはなるべく女性として見てほしいなと思う。本作の主人公はゲイであって、自分とは違う性的指向だけど、自分の中で本作は共感できる部分がめちゃくちゃあって思わず声が出てしまったり泣いてしまったりした。

 

女装というのは普通の人からしたらおかしなことで頭のおかしい行為なわけだから、他者からよく思われなかったりする。特に親からはその反応が顕著に出ていて、家で化粧するだけでもキモいと言われたりする。ただ女性がそうしているように自分も化粧をしたいだけなのに、傷つけられる言葉をかけられて、嫌な気持ちにはなるけど気持ち悪いのは事実であるように思うので、反論しないでいる。例えば外に蛾が飛んでいたときに気持ち悪いなと思うように、自分も他者から見たら気持ち悪い存在として映っているんだなと思う。本当は傷つきたくはないけど、他者がそうかんたんには変われないと思うし、自分も女装をしたいという気持ちを消せるわけではないから、諦めるしかないように思う。

 

他者にゲイであることを打ち明けたいと思う気持ちもとてもわかる。自分のことをもっと知ってほしい。そして受け入れてほしい。そう自分も思う。けどもし他者にとってそれが本当に気持ち悪いことだとしたら?そういうとき、その相手のことを責められないと思う。仕方ないんだ。自分が女装したくてたまらなくなるように、他者がどうしても気持ち悪く思うことだってある。だから隠さなくてはならない。自分が傷つかないために、そして他人を傷つけないために。

 

純くんは今はただ男のことを好きになっているけれど、いずれは女のことも好きになって結婚したりして幸せな家庭を築きたい。と言っていた。本当に辛かった。本当は世間に馴染めるように、まともなレールを歩けるようになりたかった。けどそれは無理みたいだ。心のことは本当にどうしようもない。純くんは本当に悪くない。何が悪いのだろうか。環境なのか、親なのか。けどそんな事考えてもしょうがない。何も変わらない。そうなってしまった以上はしょうがないんだ。歪な自分を隠して生きていくか、世間から外れていくか。

 

書いているうちに疲れてきてしまった。この小説は本当に素晴らしいものだと思う。読むべきだ。他者がこの小説を読んでどう思うのかは分からないけど、自分には共感できる部分があって、辛くなって、けど読み終えた。僕たちは歪な形をして、ときに迫害されたりするだろう。けど自分で自分を傷つける必要はない。自分だけは自分のことを会いしてあげられると思う。辛いかもしれない。自分だって辛い。けど自分が正しいと思ったら、それは正しいことなんだと思う。