自己愛の過剰摂取

メンヘラオタクが暇つぶしに何か書きます 

親との関係。

昔はあんなに嫌いな親と現在仲がいいのは、自分の存在価値がなくなったからだと思う。

 

昔は親の考えが稚拙に思えて、それに従いたくはないが親という存在に自分の生命活動が依存しすぎていたため逆らうこともできず、学校生活も上手くいかずに傷ついた心がなんとか壊れないように耐えながらフィクションに逃げ続ける人生であった。

 

それが今では毎日のように会話もするし誕生日にプレゼントをあげたりするまでになった。なんとなくそうなった理由も分かってきたため、文字に起こしておこうと思う。

 

まずは自分の人生や存在の価値がなくなったことが大きい。昔は自分も若く、それなりに未来があったためそれを守るためにある程度まともなルートを通らなければならなかった。そのまともなルートを通るためには親の支援が必要不可欠であったので、親に逆らうことができず、しかし親のことは愚かだと思っていたためにストレスが溜まっていた。けど現状は30歳うつ病フリーターで自分の存在に何の価値もないので、最悪本当にムカついたら殺せばいいと思っているのが大きい。無理に言うことを聞かなくても問題ないためにこちらがストレスがたまることも少なくなって快適である。

 

次に経済的にある程度自立していること。30歳うつ病フリーターといえど、日本は優しいので家から追い出されたとしても別に生きていけるので、親との関係が依存していたものから共存していくものになったのが大きい。昔は立場が弱いからこそ押しつぶされることもあったが、今は追い出されても最悪いいしそうなったら殺してもいいので親としても押さえつけることはかなり難しいと思う。

 

経済面で言うと親側もある程度余裕ができたことも大きい。昔は会社での立場も低いのに自分や弟の学費やら何やらで経済的に苦しくて親側もストレスが溜まっていたということもありそう。これは金ないのに子供産むなよと思うけれど、自分は親を選べないため仕方ない。今ではかなり余裕があるのかたまにぜいたくなご飯とか両親2人で食べに行ったりもしているみたいで、楽しいならいいんじゃないかなと思う。

 

あと最後に自分が親と会話したり関係をすることに明確にメリットがでてきた。昔は親との関係なんて切って1人で生きていこうと思っていたので、学費さえ搾り取れればあとは用済みだったのだが、今は実家でダラダラ過ごしているためこのままだと親の老後の世話をする必要がありそう。特に根拠はないけど、認知症とかは人と関わっていないことで悪化しそうなので会話しとく。

 

眠くなっちゃった。眠剤が効いてます。今度気が向いたらちゃんと完成させる。おやすみなさいませ。

あの人を好きになった気持ちに打算的な要素がなかったとは説明できないが、あの愛おしさが計算の中で生み出されたにしてはなんて綺麗で光り輝いていた感情だったのだろう。

 

彼女は空に憧れていた。この空というところはただの私たちの頭の上にある透き通る青のような場所ではなく、要は想像のはるか彼方のように思う。こんな醜い感情のあふれる世界なんかじゃなくて、もっと自由で、そして晴れやかで何にも囚われないような、そんな世界。

 

私達は人間である以上は生物という枠組みから脱することはできない。私達の思想は、心は、感情は、何処へだって行ける。それなのに、肉体のせいで私達はこの地上に貼り付けにされて逃げることができない。

 

私達はよく空を眺めた。それは、目の前に広がる青い偽りではなく、本当の自由。私達が私達でいられる、そんな世界。

 

「〇〇も一緒に飛んでくれるよね?」

そんな確認、わざわざ口に出して音にしなくても、私達の心は繋がっている。私達はこんなにも飛びたがっているのに、それを止められるものなんて何もない。さあ偽りの空を終わりにしよう!

 

 

 

 

その日は嘘で塗り固められた青ではなく、まるでそんなに世界は甘くないと、そう言っているような曇天だった。雨粒が体中をぬらし、嫌でも私が生き物であることを分からせようとしてくる。時刻は20時ちょうど。約束したその場所に、彼女の姿はない。

 

彼女の音も、心も、本当は嘘だってことは分かっていた。彼女は恵まれていて、本当はこの世界から離れる理由なんてなくて、なのに私なんかに合わせて夢の空を見てくれていた。それだけで私は救われていた。彼女だけは私の心を否定しなかった。それが本当にうれしかったんだ。

 

あの時、空を一緒に見ながら自由について話している私を見てくれる貴女は、本当に綺麗だった。心を、受け入れてくれることってこんなに素敵なことだったんだ。あの時だけは、世界のこともすべて許せる気がした。彼女と一緒ならこの肉体に付き合ってやってもいいとさえ思えた。

 

けどそれは彼女のためにはならない。彼女はあまりにもきれいだったし、私はあまりにも醜かった。本当は間違っている。そんなことは分かっているけれど、もう正しくなるには心が壊れすぎていたように思う。彼女のことを思うたびに、自分の醜さに打ち拉がれた。

 

もし本当に空があったとして、それが自由でどんなに素敵なところであろうと、私の心は醜いままなのかもしれない。それでも、彼女のあの美しさだけは守れると思うと、それだけでも嬉しい。

 

今まで本当にありがとう。私のことは嘘だったと、そう思ってほしい。

夢の夜

自分はあの時どうしてこんなに愚かだったのだろう。自分はあの時どうしてこんなに身勝手だったのだろう。自分の弱さを他者に押し付けて肯定してもらって安心して、他者を傷つけて自分の価値を見出して、どうしてあんなに愚かだったんだろうと不思議に思う。

 

何が悪かったんだろう。そもそも生まれてきてしまったのが間違いだったのか。人と関わるのが間違いだったのか。こんなになってしまったのは本当に自分のせいなのか。

 

何もわからないまま、もう29歳になってしまった。

 

いまだに死なず、現実逃避だけは上手くなりただ時が流れている。なぜ生きているか、なぜあんなに苦しい思いをしていたのか、なぜあんなに愚かで醜かったのか、そんなことすら忘れてしまうほど、時がたってしまった。

 

大人になるということは、諦めて忘れることのように思う。自分の苦しみから、世界の理不尽さから、目を背けて何事もなく生きていけるのが大人のように思う。自分もだんだんと、世界に対して諦めを抱き、醜い感情から目を背けて世界に馴染めるようになってきた。多くのものを傷つけ、多くのものを失い、球体になっていく。

 

もう何もかも取り返しがつかない。もう何もかも元に戻ることがない。そうやって傷つけてきたものの先が、これらしい。だからといって、今更刹那的に生きることはできない。自分は歳を取りすぎてしまったし、世界は意外にも人間が生きていくために作られていることを知ってしまったし、もう親のことを恨むほどの感情も残っていない。

 

今日も生きていてごめんなさい。今目の前に現れて、ぼくを殺してくれたらどんなに楽だろう。こうやって他者に救いを求めることが弱さだ。いまだに成長することができない。ただ感情がすり減って、世界に押し潰されているだけだ。

 

みんななんだかんだ世界に適応して生きている。世界に反抗し続けることは、思った以上に難しかった。あの時の苦しみも、あの時の愛おしさも、全部本物だったはずなのに、現実には誰も必要ないみたいだ。

 

また感情をインターネットに記す。睡眠薬を追加して、脳を止めて、また起きたら現実が始まるんだ。忘れてしまってごめんなさい。夢だった幼き愚かな日々よ。あの時の苦しみは本当だったことを、ずっと忘れたくない。

 

大好きでした。一生許さないでいてください。

自己嫌悪

感情は思考を鈍らす。自分の理想を相手に押し付けて勝手に期待してしまう自分が嫌だ。

 

人を好きになることが嫌だ。人間にはそれぞれ思考があって感情があるのに、あたかも自分の都合の良いように相手のことを考えてしまう。本来好きという感情はただ相手のことを愛おしく思うためのものなはずなのに、感情の返答を求めてしまう。

 

隣を歩くのが嫌だ。ただ時間と空間を共有していればいいはずなのに、気づいたら相手を求めて触れたくて見て欲しくて醜くなる。ただ笑っていて欲しいだけなのに、その笑みをその目を私に向けて欲しくなる。

 

一緒に遊ぶのが嫌だ。ただ相手が楽しい時間を探して欲しいだけなのに、私もその感情の輪の中に入れて欲しくなる。私の楽しいことを相手にも楽しいと思ってほしくなる。私のわがままに付き合わせているだけなのに、さも相手も喜んでいると勝手に脳が変換してしまう。

 

一緒に××するのが嫌だ。相手の体を心を、私の快楽のために利用したくない。彼女の指が舌が私の気持ちいいところに触れて、ただよがって頭がびりびりしてしまう。私がただ気持ちよくなっているだけなのに、ただ利用しているだけなのに、彼女が私のことを求めているように思ってしまう。そう願ってしまう。ただ好きなだけなのに、ただ愛おしいだけなのに、どうして求めてしまうの。どうして触れて欲しくなるの。

 

ほんとはどう思っているかもわからないのに、どうしてそこに愛があると思ってしまうの。

生存報告

久しぶりにブログを開きました。いまだに閲覧数が更新されているようで、どういう人が開いているかはわかりませんがあまりにも更新がないのはどうなのかなと思ったことと、たまには自分の感情を言語化することも大切なのかなと思って近況を書いてみようと思います。

 

現状はいまだに精神科に通いながらフリーターを続けている状態です。特にこれといった出来事もなく、ただ死なずにだからといって何かを頑張れるわけでもなく生を続けています。

 

彼女のことに関しては本当に何も考えなくなりました。ただ、暑い夏の日になるといまだにあの時の情景がふと頭をよぎりインターネットで彼女のインターネットの名前を検索して少し思い出すということを繰り返しています。

あの時の自分は就職したてで、会社と自宅の往復を慣れないながらも続けながら空いた時間で彼女と通話する日々を送っていました。家が山の麓にあったので周りには田んぼしかなく、かろうじて歩いて行ける距離のコンビニに飲み物を買いに行くなどしてたような気がします。

若い頃は、人間の人生は極端に生と死があるように感じていましたが、今では生と死は地続きで繋がっており自分は今死へとのんびり歩いているような状態に感じます。

彼女はまだ若く、人生の全体像を掴むにはまだ先が長すぎて体を傷つけてしまうほどの苦しみを抱えていて死を選ぶ力を持っていました。

こうやって文章を書いていると、当時の情況が思い出されなぜ自分が共に傷つかことができなかったのかという後悔と、何度繰り返しても自分の愚かさゆえに共に生きていくことはできなかったんだろうという無気力感があります。

 

同じようなことをずっと書いていても仕方ないですよね。自分はいまだに生きてしまっているので生きているからには生を続けて死に向かって緩やかに進んでいかないといけないので、まだまだ苦しみの中でもがいていくと思います。

もう文字で謝罪しても仕方ないですよね。現に今まで忘れてしまっていたわけですし。

このブログを読んでいる方々も、おそらく生を全うできるわけではない人が多いと思います。これからも苦しみはたくさんあるかもしれませんが、人間は1人で生きていけず誰かの感情の一端を担っているように思います。死にたくなるほどの苦しみや悲しみは世の中にたくさんあります。けれども死以外の選択肢というものも世の中にはたくさんあるんじゃないかと思います。無責任かもしれませんが、生は死につながっています。しかし死んでしまったら生を続けている人たちはより苦しみを味わうことになると思います。私が何かできることがあったら言って欲しいです。私は自殺をすることができないので、生を続けます。人は1人じゃ生きていけないなどと言うのは簡単です。もし今辛かったし悲しかったり寂しかったりしたら誰かを頼ってください。私でもいいです。少しでも助けになれるかもしれません。

 

こんな偽善者のようなことを書いてしまいましたが、ただ単に自分が寂しいだけなのかもしれません。人間利用し合うものだと思います。

2021年7月

元カノが死んでしまったことに関して、彼女に会ったことのない人たちがインターネット内で悲しんでいたりYouTubeに動画を投稿していたりするようです。

 

自分は昨日が元カノが死んでしまった日であることを忘れていて、インターネットでそうツイートしている人がいて思い出しました。現実逃避も上手くなったものですね。

 

現状は精神科に通いながらバイトをして継続して現実から逃避している状態です。死にたいという気持ちも罪の意識を次第に薄くなっていて、何も感じずただ死から目を背けています。償おうという気すらなく、無くなってしまったものはしょうがないだったり、そもそも自分が人を支えられるほど強靭ではなかったり、死んでしまったのは自分のせいではなかったり、そういう逃げ道がだんだん増えていって死へと遠ざかっています。

 

自分ができることはなんだろう。死ぬことが最善であることは分かっているが、死は怖くて相当の覚悟がないとできないらしい。自分が死んだほうがいいと思っていて殺したい人間がいたら殺してください。連絡待ってます。あとは忘れないことは大事なように思います。自分は彼女にかなり近い人間であったので、彼女のことをそれなりにわかっている気もします。他にできることがあったら、教えてほしいです。

 

ご冥福をお祈りするなんて、殺した人間が言うべきではないし、もし次があるとするのなら、次は幸せになってほしいなと思います。自分みたいなだめな人間とは関わらずに良い人たちだったり、まぁ人じゃないかもしれないから良い仲間?とかに恵まれて欲しいです。もし次がないのなら、一緒に死にたかったです。一人で苦しい思いをさせてごめんなさい。支えるなんて偉そうなこと言えなかったから、せめて一緒に傷つければよかったなって後悔です。

生きている意味

「生きている意味はあるのか」という質問にうんざりする。世界中数多なる人間がいて、自分よりも頭の良い人間が山ほどいる中で、自分の納得できる生きている意味を誰も言っていないということは、生きている意味なんてものは存在しないということが少し考えれば分かることなのに、答えのない問にいちいちうじうじ考えているのは気持ち悪いなと思う。

 

まぁ自分も、このブログを読んでもらえば分かるのですが、永遠に同じことでうじうじなやんでいて、人のことは言えないんだけど、最近はちゃんと病院に行って薬飲んで早く寝て、なんとか努力して現実逃避しているので許してほしい。気持ち悪いものは気持ち悪いし、うじうじ考えている自分のこともあとから見返したら気持ち悪いと思っています。

 

けど、誰も生きている意味があると言っていないからと言って、そんなものは一蹴するのも良くない気がするのでちゃんと考えてみる。

そもそも自分が産まれてきたのは親のエゴであり、なんとなく子供がほしいという理由で作られたのだと思う。ということは自分は親の所有物なわけで、自分が生きている意味は親に生かされているからだと思う。殺そうと思えば殺せたわけだし。ということは生きている意味が欲しかったらとりあえず原点に戻って、自分が親の所有物であることを自覚して、親に何をすればいいかとか聞いてみるのがいいと思います。

自分は親のことが嫌いなので聞くことはないですけどね。

 

よくよく考えたら「生きている意味がない」とか言っている人たちは基本的に寂しくて他者に求められたいだけなので、「おれは〇〇ちゃんと一緒にいると楽しいよ」とか「おれは〇〇ちゃんがいないと嫌だな」とか言っておけば良いと思います。

 

他者の求める行動をし続けるのってめんどくさいですよね