自己愛の過剰摂取

メンヘラオタクが暇つぶしに何か書きます 

ゲームをしています

ゲームというものは基本的に誰しもが役割を持っていて、その役割の中から自分が今一番したいものを選択して演じて行くもの。

 

最近することがなくて永遠とゲームをしている。自分が何者かになり、その役割をこなしていく作業。味方がその者の役割をこなさなければ怒り、皆がそれぞれの役割をこなせたら嬉しくなる。そういうものを日々している。

 

ゲームをすればするほど、自分がそのキャラクターとなり、その役割のために真剣になっていく気がする。そしてどんどん味方がそのものの役割をこなせていないとイライラするようになってしまっている。ゲームごときでイライラするのは明らかに間違っているが、ゲームをすればするほど、それはゲームではなく作業になっていき、きれいに物事が進まないとイライラしてしまう。

 

そんなにイライラするなら1人用のゲームをしたらいいと思う。そう思って今日ニーアオートマターを買ってみた。1人用のゲームはすべてがシステムによって動いており、すればするほどこれがゲームであり茶番であることを強く意識してしまうのでうまく続かない。人が介入すればするほど、役割を演じることに価値が生まれ、役割に沿った作業をすることが楽しいのかなと思う。

 

冷静に分析して文字にしてみたものの、何を言っているんだろうかこいつは。要は自分ではない何かになってその役割を演じることが気持ちいいということだと思う。インターネットもそんな感じ。かわいいキャラになりきって好き勝手振る舞う。そういうロールプレイ。けどインターネットはキャラよりも自己を出す人間が多いので見ていて疲れる。やっぱり自分になりたくなかったらゲームをしなければいけないのだろう。