自己愛の過剰摂取

メンヘラオタクが暇つぶしに何か書きます 

社会

自分のブログを読んでいるとこの頃の自分は今よりも生きているなと思う。最近は私もずいぶん歳をとってしまって、人生と自分の存在がどんどん離れていくように感じる。昔は他者に認められるために、許されるために必死に自分を消費していたけれど、最近では私は他者に許されるのではなく、社会に許されるべき人間になったように思う。これが歳を取ること、大人になるということなのだろうか。昔は社会なんてものは曖昧で大人がせっせと維持しているシステムのように感じていたが、今では社会は人間が生きやすいように存在している世界のように感じる。昔は他者と他者が繋がりそれが網目状に広がり世界ができていたように感じていたが、今では社会という大きな箱の中に規則正しく並んでいるような、そんな気がしている。

 

仕事帰りに彼氏を待つ。駅前には人がごった返していて、それぞれがそれぞれの寝床に帰るのだろう。社会を維持していた歯車たちが、一時的に休憩をするのだ。社会の束の間の安息。世界が慌ただしく収束していく。社会に出てから気になることが減った気がする。駅前にいてもきょろきょろすることも減った。昔はどこに友達がいるかもわからずに、見かけたら挨拶しなければ、人と関わらなければと緊張していた。今では人と人との関係は希薄になり、世界の中でなんとなく同じような歯車がいっぱいいるなという気持ちになる。視界がぼやけてくる。自分という存在が希薄になっていく。大きな社会という世界の中で、みんな曖昧になる。