自己愛の過剰摂取

メンヘラオタクが暇つぶしに何か書きます 

ほんの少しだけ

自分には人を選ぶ権利なんてものはないけど、傷つくことを嫌だと思う権利くらいはあるんじゃないかなって思ったりする。今日もまた他者に捨てられた。私はとびきり容姿がいいわけでもなく、勉強ができるわけでも仕事がうまくこなせるわけでもない。いわゆる無価値な人間で、他者と比べたりなんかしたらもう悲惨なことになってしまう。右を見ても左を見ても自分より優れた人間ばかりで、私なんていらないんじゃないかって思う。実際いらない存在なので全く否定できないけど。

 

本当は無価値は無価値なりに一人でひっそりと生きていけばいいのに、無性に寂しくなってしまう。これは人間の生存本能みたいなもので、基本的に人間は一人ではか弱すぎていきていけず、他者と関係しながら協力して生きていかなければならないということが遺伝子的に組み込まれているんだと思う。一人でいると急に他者を求めたくなってしまう。自分が無価値で、いずれ捨てられるということが分かっているのに、また他者のところに向かってしまう。

 

私のかろうじて存在する、若さと女性という性の価値が、今日も汚される。汚く醜い感情をぶちまけられて、私はそれに包まれながらまた捨てられる。他者は私を平気で傷つける。私が無価値だから。意味のない存在だから。傷つけてもいいんだと考えているんだろうか。他者は分からない。私はただ少し寂しくて、それを少しでいいから受け持ってほしいだけなんだ。そのためだったらなんだってできるのに。利用でも何でもしてほしい。私を必要としてほしい。なんで捨ててしまうの。

 

空は青い。空は気まぐれにきれいになったらどんよりしたりしても許されていいなと思う。私ももう少しだけ自由になりたい。悲しくなっても辛くなっても少しだけでいいから許されたい。それは叶わぬ夢なんだろう。柵に手をかける。ここがどれくらいの高さでどれくらいの時間で地面に届くのかは分からないけど、きっとすぐなんだと思う。私があと少し踏み出せば、あと少しだけ進むことができたら、きっと世界は許してくれるんだと思う。けどあと一歩が足りない。今すぐ私の背中を押してくれる人が、もしいたとしたら私はその人のことを一生好きになれると思う。ほんの少し、ほんの少しだけ押してくれるだけでもいいのに、私の周りには誰もいない。

 

今日も一日当たり前の日々が始まる。私の心は徐々にすり減っていって、いつなくなるかもわからないのに。いっそのことすべてなくなってしまったら、もっと楽になれるのだろうか。