自己愛の過剰摂取

メンヘラオタクが暇つぶしに何か書きます

食による意味のある死をください

例えばシラスは何百匹も一気に食べて生を一気に消費している感じがグロテスクで嫌いという意見があるみたいだけど、ぼくは逆に生を無造作に消費する感じが好きです。

 

人間は基本的に生に重きを置きすぎている感じがある。命は大事にしなさいなんていうけれど、基本的に個人の命なんてものには何の価値もない気がする。今自分がぽっくり死んでしまってもそれが何か意味のあることになるかと言われればそんなこと全くないし、今自分がちょっと関わっている人間が死んでしまっても、それが自分の中で何か意味のあるものになるとは思えない。

 

ベジタリアンって言う人種がいて、生物を殺して食べるのは気分が悪くなるので野菜しか食べないという人たちがいるが、ぼくは逆に生物を殺して食べるという行為が好き。生物を食べておいしいと感じるのは世界の仕組みの中でかなり優秀なものだと思う。それは生物が生きるために何かを食すために作られた仕組みなんだろうけど、おいしいっていうのはそれだけで意味のあるものになれるのですごいと思う。牛を殺して食べる。そしておいしいと感じる。しかも食べた生物の地となり肉となる。こんなに意味にあふれた行為はあるだろうか。たとえば今自分がここで適当に自殺する。そうすると自分はゴミ同然になり部屋で腐り、ごみのように掃除をされてごみのように燃やされて灰になる。なんて無意味なんだろうか。そんなことになるんだったらぼくだって誰かに食べられたいなと思う。

 

今のところ生は食べられるとこでしか意味を見出せない気がする。ぼくは生物を食べておいしいと感じることは素晴らしいことだと思うし生物はみんな最終的に食べられるために生きている気がする。人間だけがそのルートから外れてしまっている。個人的な死を恐れるあまり食に嫌悪感を表す人間は結構面白い。自分の命にどんだけ価値があると思って生きているんだろうか。何もかも無意味なのに。おいしく食べられた方がぜったいいいよ。

 

書いているうちに食への嫌悪感は生への過剰なリスペクト?によるものな気がしてきた。生は基本的に無意味です。なんで生きてるか自分ですら分からないもの。ぼくは生に意味を見出せない。だからせめておいしく食べられたい。誰かの中で意味のある生で終わらせたい。せめて生物としておいしいと思ってもらって死にたいなと思う。だから食しておいしいと感じるようにしている。誰かぼくを食べてくれませんか?