自己愛の過剰摂取

メンヘラオタクが暇つぶしに何か書きます

どうしようもない

外に出ると体の周りにもやがかかったような感覚に陥る。もう季節は夏になり、外はとてもじゃないが人間が生きていけるとは思えないような暑さになっている。家の中ではいつもクーラーを付けているから全く熱さが分からず、体も夏の暑さを覚えてないからかふと外に出るとあまりの暑さに脳が付いていけずになんだか体表面がバグっているような、そんな気がする。

 

夏の間は人間は一切外出できないようにしてほしい。それか日が暮れてからか。どうしてこんなに暑いのに外に出そうとするのだろうか。馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。視界の底が揺れているように見える、体がどんどんバグってしまう。早く非難しなければ!

 

夏が嫌いな理由はほかにもあって、例えばコンビニに寄ってしまうこと。コンビニの中は涼しくて、しかも飲み物やアイスがたくさんあって私をどんどん誘惑してくるのだ。おかげで外出するたびにきまって何か買ってしまい、どんどんお金が無くなってしまう。お金は有限で、特に使い道があるわけでもないけど、なくなるとなんとなく悲しくなる。自分みたいな存在がむやみやたらと消費することは許されないことのような気がする。

 

ほかには、人間が肌を出して歩いているということ。人間は普段あたかも自分たちだけは他の生物と違うというような顔をしておきながら生きているのに、夏になるとどんどん皆が肌を露出させる。それを見れば見るほど人間がどうしようもなく生物であるということを確認してしまって、嫌悪感に襲われる。自分だってどうしようもなく生物なんだ。脳みそは気持ち悪いタンパク質の塊で、内臓は黒くぬめぬめと光っていて、皮をはいだら赤い血に濡れた皮膚が露出するのだ。それはどうしても逃げられない事実。どうしようもないことはわかっているのに、虚しくなってしまう。

 

何者にもなりたくない。生物である限り、生きている限りそれは許されないように思う。みんな生きている。みんな生存しようといている。みんな繁栄しようとしている。それが生物として当たり前のこと。私はそれがどうしても嫌だ。私は生きていたくない。何者にもなりたくない。何者にもなれない。

 

何もできない自分が好き。私は何もしていない時、どうしても満たされてしまう。それは間違っているのに。何もせず、何もかもから逃げて、何もしていない。そういう瞬間に、許されているんだ。と感じる。私はただ許されたかった。そこにいることを。存在していることを許して欲しかった。ただそれだけだったのに。

 

今日も一日が終わる。何者にもならないまま。ただ時が過ぎることだけを感じて。タイムリミットを待っている。