自己愛の過剰摂取

メンヘラオタクが暇つぶしに何か書きます

歳をとっていくごとに、自分の生の価値が薄まっていく感覚がある。

 

私の腕の傷を撫でながら「今でも切ってるの?」と聞かれた。そういえば最後に腕を切ったのはいつだろうか。2年前とか、正確に思い出せないくらい昔のこと。私は自分の体を傷付けて気持ちよくなっていた。昔の私は少なくとも今よりももっと人間として、女性として価値のある肉体だったように思う。自分自身にはなんの価値もなくて、けど肉体にだけ価値があって、他者に求められて、けどそれは私が求められているわけではなくて、若い女としてのランダムに抽出された中の一つというような、そういう感覚に日々戸惑っていた。ある日私は他者に優しくされた。けどそれは私に優しくしてくれたわけではなくて、若い女として優しくされていただけで、それは私でなくても良かったわけで、けど私は一人しかいなくて、途方に暮れてどうしようもなくなったりしていた。自分の体を傷つけると気持ちよかった。私のこの体は自分のものなんだって自覚できた。私は私だった。それは当たり前のことかもしれないけど、自分の体を傷つけることでしか実感できなかった。

 

昔の私は何かを失うことに必死だった。人は何を考えているかわからず、関わるたびに傷つけられていた。自分が他者に傷つけられることが怖かった。何も傷つけられたくなかった。けど人間は他者と関わっていないと生きていけなくて、それはどうしようもなくて、けど傷つけられたくなくて、自分で自分を傷付けて、せめて自分の手で傷つけていた。

 

歳を取って、長い間自分を傷つけていった結果、本当に何も残らなかった。自分には何もなかった。けどそれで良かったと思っている。私には何もない。だから傷つけられることもない。私は自分のなりたい自分になれている気がする。

 

こういう話をしてみても「けど○○ちゃんは素敵だしなにもないなんてことないよ」と言われるだけ。昔はそういうお世辞にいちいち真に受けて一喜一憂したりしてたけど、今は人間が関わるためのコミュニケーションだなくらいにしか思わない。何もないけど、それでいいと思う。

ごみ

初めてそこに入れたとき、彼女のよがるその体を、苦しそうなその顔を、消えてしまいそうに細い吐息を、目の前で感じてしまったとき、自分が彼女とは全く違う性であることを感じた。動くたびに、求められる。自分が男で、彼女が女であることが、ありありと浮かんでくる。彼女に求められるたびに、これをめちゃくちゃに壊してしまいたくなる。自分は一生女になれない。一生このか弱く異性を求め続ける女性にはなれないんだということが、本当に悲しかった。自分はただ醜く動いていくだけ。何もない。生殖のために生み出された機械のような、規則的な動作のみ許されていた。何もかもめちゃくちゃにしてやりたくて、激しく動いて名前を呼んだ。せめて自分だけ見てほしかった。こんな行為誰でも良かったんだと思う。ただ動くだけ。自分でなくても構わなくても、自分だけ見てほしかった。それがせめてものの抵抗のように感じられた。

自分は一生かわいい女になんてなれない。一生性に囚われてせめてめちゃくちゃにしてやることくらいしかできない。どうすることもできないことが分かった。自分は一生他者から何かを奪えない。可愛くないから。ただ醜く、消費されていくだけ。

ほんの少しだけ

自分には人を選ぶ権利なんてものはないけど、傷つくことを嫌だと思う権利くらいはあるんじゃないかなって思ったりする。今日もまた他者に捨てられた。私はとびきり容姿がいいわけでもなく、勉強ができるわけでも仕事がうまくこなせるわけでもない。いわゆる無価値な人間で、他者と比べたりなんかしたらもう悲惨なことになってしまう。右を見ても左を見ても自分より優れた人間ばかりで、私なんていらないんじゃないかって思う。実際いらない存在なので全く否定できないけど。

 

本当は無価値は無価値なりに一人でひっそりと生きていけばいいのに、無性に寂しくなってしまう。これは人間の生存本能みたいなもので、基本的に人間は一人ではか弱すぎていきていけず、他者と関係しながら協力して生きていかなければならないということが遺伝子的に組み込まれているんだと思う。一人でいると急に他者を求めたくなってしまう。自分が無価値で、いずれ捨てられるということが分かっているのに、また他者のところに向かってしまう。

 

私のかろうじて存在する、若さと女性という性の価値が、今日も汚される。汚く醜い感情をぶちまけられて、私はそれに包まれながらまた捨てられる。他者は私を平気で傷つける。私が無価値だから。意味のない存在だから。傷つけてもいいんだと考えているんだろうか。他者は分からない。私はただ少し寂しくて、それを少しでいいから受け持ってほしいだけなんだ。そのためだったらなんだってできるのに。利用でも何でもしてほしい。私を必要としてほしい。なんで捨ててしまうの。

 

空は青い。空は気まぐれにきれいになったらどんよりしたりしても許されていいなと思う。私ももう少しだけ自由になりたい。悲しくなっても辛くなっても少しだけでいいから許されたい。それは叶わぬ夢なんだろう。柵に手をかける。ここがどれくらいの高さでどれくらいの時間で地面に届くのかは分からないけど、きっとすぐなんだと思う。私があと少し踏み出せば、あと少しだけ進むことができたら、きっと世界は許してくれるんだと思う。けどあと一歩が足りない。今すぐ私の背中を押してくれる人が、もしいたとしたら私はその人のことを一生好きになれると思う。ほんの少し、ほんの少しだけ押してくれるだけでもいいのに、私の周りには誰もいない。

 

今日も一日当たり前の日々が始まる。私の心は徐々にすり減っていって、いつなくなるかもわからないのに。いっそのことすべてなくなってしまったら、もっと楽になれるのだろうか。

食による意味のある死をください

例えばシラスは何百匹も一気に食べて生を一気に消費している感じがグロテスクで嫌いという意見があるみたいだけど、ぼくは逆に生を無造作に消費する感じが好きです。

 

人間は基本的に生に重きを置きすぎている感じがある。命は大事にしなさいなんていうけれど、基本的に個人の命なんてものには何の価値もない気がする。今自分がぽっくり死んでしまってもそれが何か意味のあることになるかと言われればそんなこと全くないし、今自分がちょっと関わっている人間が死んでしまっても、それが自分の中で何か意味のあるものになるとは思えない。

 

ベジタリアンって言う人種がいて、生物を殺して食べるのは気分が悪くなるので野菜しか食べないという人たちがいるが、ぼくは逆に生物を殺して食べるという行為が好き。生物を食べておいしいと感じるのは世界の仕組みの中でかなり優秀なものだと思う。それは生物が生きるために何かを食すために作られた仕組みなんだろうけど、おいしいっていうのはそれだけで意味のあるものになれるのですごいと思う。牛を殺して食べる。そしておいしいと感じる。しかも食べた生物の地となり肉となる。こんなに意味にあふれた行為はあるだろうか。たとえば今自分がここで適当に自殺する。そうすると自分はゴミ同然になり部屋で腐り、ごみのように掃除をされてごみのように燃やされて灰になる。なんて無意味なんだろうか。そんなことになるんだったらぼくだって誰かに食べられたいなと思う。

 

今のところ生は食べられるとこでしか意味を見出せない気がする。ぼくは生物を食べておいしいと感じることは素晴らしいことだと思うし生物はみんな最終的に食べられるために生きている気がする。人間だけがそのルートから外れてしまっている。個人的な死を恐れるあまり食に嫌悪感を表す人間は結構面白い。自分の命にどんだけ価値があると思って生きているんだろうか。何もかも無意味なのに。おいしく食べられた方がぜったいいいよ。

 

書いているうちに食への嫌悪感は生への過剰なリスペクト?によるものな気がしてきた。生は基本的に無意味です。なんで生きてるか自分ですら分からないもの。ぼくは生に意味を見出せない。だからせめておいしく食べられたい。誰かの中で意味のある生で終わらせたい。せめて生物としておいしいと思ってもらって死にたいなと思う。だから食しておいしいと感じるようにしている。誰かぼくを食べてくれませんか?

どうしようもない

外に出ると体の周りにもやがかかったような感覚に陥る。もう季節は夏になり、外はとてもじゃないが人間が生きていけるとは思えないような暑さになっている。家の中ではいつもクーラーを付けているから全く熱さが分からず、体も夏の暑さを覚えてないからかふと外に出るとあまりの暑さに脳が付いていけずになんだか体表面がバグっているような、そんな気がする。

 

夏の間は人間は一切外出できないようにしてほしい。それか日が暮れてからか。どうしてこんなに暑いのに外に出そうとするのだろうか。馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。視界の底が揺れているように見える、体がどんどんバグってしまう。早く非難しなければ!

 

夏が嫌いな理由はほかにもあって、例えばコンビニに寄ってしまうこと。コンビニの中は涼しくて、しかも飲み物やアイスがたくさんあって私をどんどん誘惑してくるのだ。おかげで外出するたびにきまって何か買ってしまい、どんどんお金が無くなってしまう。お金は有限で、特に使い道があるわけでもないけど、なくなるとなんとなく悲しくなる。自分みたいな存在がむやみやたらと消費することは許されないことのような気がする。

 

ほかには、人間が肌を出して歩いているということ。人間は普段あたかも自分たちだけは他の生物と違うというような顔をしておきながら生きているのに、夏になるとどんどん皆が肌を露出させる。それを見れば見るほど人間がどうしようもなく生物であるということを確認してしまって、嫌悪感に襲われる。自分だってどうしようもなく生物なんだ。脳みそは気持ち悪いタンパク質の塊で、内臓は黒くぬめぬめと光っていて、皮をはいだら赤い血に濡れた皮膚が露出するのだ。それはどうしても逃げられない事実。どうしようもないことはわかっているのに、虚しくなってしまう。

 

何者にもなりたくない。生物である限り、生きている限りそれは許されないように思う。みんな生きている。みんな生存しようといている。みんな繁栄しようとしている。それが生物として当たり前のこと。私はそれがどうしても嫌だ。私は生きていたくない。何者にもなりたくない。何者にもなれない。

 

何もできない自分が好き。私は何もしていない時、どうしても満たされてしまう。それは間違っているのに。何もせず、何もかもから逃げて、何もしていない。そういう瞬間に、許されているんだ。と感じる。私はただ許されたかった。そこにいることを。存在していることを許して欲しかった。ただそれだけだったのに。

 

今日も一日が終わる。何者にもならないまま。ただ時が過ぎることだけを感じて。タイムリミットを待っている。

 

おしまい

何もかもどうでもよかった。そもそも人生に何の意味もなくて、親の中出しの快感によって産業廃棄物が生まれた。みんな自分の人生が無意味なことくらいとっくに気付いているのに、遺伝子に組み込まれた死への恐怖が、それを考えないようにさせてる。すべては始まりが悪くて、しいていうなら神?とか言うものが悪いんだと思う。けど神なんているのかな。私はそんなもの信じられなくて、すべては運命で決まっているんだと思う。運命はあいまいだから、何もかも意味がないと気付いてしまうのは怖いから、人の形に模した神なんて作ったんだと思う。すべては無意味。それを気付いてなお正常に生きている私はイレギュラーなのかもしれない。

 

今日も日々は正常だ。友達が目の前で笑っている。楽しいことがあったらしい。好きな先輩と話せたとかそういう話。私はそういうくだらない話が好き。私の身の回りでは起きないから。他者に全然興味がなくって、そのせいで私の身の回りではいわゆる浮いた話っていうのがない。全部無意味だって気付いてしまったから。何もかもどうでもよい。

 

学校には今日も人間がわらわらと生存している。なんかいっぱいいるね。肉塊がわらわらと動いている様は本当にグロテスクなんだけど、みんなそんなこと思ってないような顔している。人間ってグロテスクだと思う。肉塊なのに、まるでそんなことないよと言わんばかりに着飾ったりしている。所詮生き物なのに、なんだか傲慢だね。

 

みんな生に意味を付けようと頑張っている。たとえば性とかに。私いまうまいこと言ったかな?そんなことないかな。私もこの文章に何か意味を付けようとしている。けどそれは無駄。みんなかわいそう。私もかわいそう。なにしてるんだろ。いつ死ぬんだろ。

 

自殺すらも人生に意味を求める行為な気がしている。たとえば、未来の喪失とか。若い人間が自殺するのは、未来への絶望とか、なんかそんな感じのかっこいい意味を模索している感じがする。みんな何かになりたいんだ。それが生存するということなのかもしれない。

 

生存をやめたい。意味を探したくない。私はもうそんなものがないということに気付いてしまったから。何物にもなりたくない。無意味を許されたい。

 

差異

人に嫌われるのが得意。気持ち悪いから。

 

嫌われ始めたのは中学くらいで、その頃は男のくせに全然身長も伸びなくて力も付かなくて、みなの当たり前とは違くて差異で嫌われていた。集団の中で異常なものは廃除される。当たり前のように嫌われていた。

 

嫌いという感情は特別で、好きでも興味ないでもなく、傷つけたりすると気持ちよくなる。差異は省く。省くと気持ちよくなる。生存に必要な能力っぽい。

 

方法は主に暴力。中学生くらいの男子は力が有り余ってるから仕方ないね。足をけられすぎて肉離れを起こす。これは個人的には面白エピソードです。なかなかいないでしょ、足蹴られすぎて肉離れ起こすなんて。みんな笑ってくれてるかな。気持ち悪いね。

 

高校に入ってからは特になかった。いじめられたくなくてわざと遠くの高校行ったし、みんな部活とかバイトとかデートとか、それなりにやることがある感じで、いじめとかあんまり起こさなさそうだった。ぼくもうまく馴染めてたのかも。この頃はぼーっとするのが得意だった。現実に興味なかったから。本読んでるか、ぼーっとしてるか。この頃からみんなが興味あることに興味がない感覚があった。どうせ無理だから、なるべく静かにしていよう。この頃はそこそこ人と話していたが、今では一つも連絡先が残っていない。必要ないから消した。多分みんなそう思ってるよ。

 

他者に興味を持つのが難しい。他者はどうでもいい。自分もそう思われてるし。人生にはなんの価値もなく、人は無意味に存在している。存在していることが意味なのかも。存在していることを観測していればそれで十分な気がする。

 

大学に入ってもそこその人と話す。社会に馴染むためにはコミュニケーションが大事。孤独は生き辛い。大学生にもなれば他者もそれなりに落ち着いているし。人とある程度関わった方が楽だと思えてるのはいいことだと思う。たまに疲れるけど。あとじぶんがその場にいる意味が無いことに呆れることがある。何してるんだろ。意味無いのに。けどそれなりに関わる。自分が楽をする方が大事だから。他者は概念でオブジェクト。世界を楽に作り変える。

 

いつまで存在し続けているのだろう。先は長いらしい。けどきっと、そのうち何もかも終わるんだと思う。生きてるけど存在しているわけでは無い。そんな感じ。無意味であることがゆるされる。それまでにいくつ傷を残せばいいのだろう。